英語の訓読 ~漢文の訓読の汎化~

孔子

漢文の訓読について

日本語圏で「漢文」を読む場合は歴史的に「訓読」が行われてきた。 即ち、外国語である古い中国語としての漢文を、それが入ってきた当時の日本語として読んだのだ。

外国語の単語に当たる漢字に当時の日本語を割り当てながら読む為に「訓読み」というものが生まれた。

やがて、漢字の音だけを借りて生まれた「仮名」を交えて漢文の訓読を書く「()(くだ)し文」というものも生まれた。 書き下し文によって、どのように訓読すれば良いのかが、漢文に不慣れな者にも分かりやすくなった。

書き下し文というのは次のようなものだ。

書き下し文

書き下し文とは、訓点 (レ点、一二点などの返り点やカタカナの送り仮名) を用いて漢字仮名交じりで書いた歴史的仮名遣いの日本文のこと。

書き下し文の例

例を挙げてみよう。

次の漢文は、有名な論語の一節だ。

原文 (漢文)

「子曰、學而不思則罔、 思而不學則殆。」

参考: 現代日本語訳 「先生 (= 孔子) が言われた、『学問をしてもそれを自分でよく考えてみないと、学んだことの道理がよくわからない。(その一方で)、考えているばかりでものを学ばないと、(独断に陥って) 危険である。』と。」

この儘の漢文を訓読するのは難しい。

これを書き下し文にすると、次のようになる。

書き下し文

()(イハ)(マナ)ビテ()レバ(オモ)(スナハ)(クラ)(オモ)ヒテ()レバ(マナ)(スナハ)(アヤ)フシト。」

これは、次のように訓読される。

()(いは)く、(まな)びて(おも)はざれば(すなは)(くら)し、(おも)ひて(まな)ばざれば(すなは)(あや)ふしと。」

書き下し文になっていると、訓読の方法が分かりやすい。

訓読の汎化

そして、この訓読というものを、もう少し一般化してみると次のようになるのかも知れない。

訓読 (汎化後)

外国語の文を、日本語として読むこと。
読みやすくするためには、書き下し文が有効。
書き下し文とは、訓点 (レ点・一二点などの返り点やカタカナの送り仮名) を用いて外国語の単語と仮名を交じえて書いた歴史的仮名遣いの日本文のこと。

英語を書き下してみる

一例として、英語を書き下ろしてみよう。

次に挙げるのは、上記論語の一節の英訳だ。

英語 (James Legge 訳)

"The Master said, 'Learning without thought is labour lost; thought without leaving is perilous.'"

書き下ろして訓読してみよう。

書き下し文

"The Master() said(イハ), 'Learning(マナ)ビテ without()レバthought(オモ) is(スナハ) labour lost(クラ); thought(オモ)ヒテ without()レバleaving(マナ) is(スナハ) perilous(アヤ)フシト.'"

次のように訓読される。

"The Master() said(いは)く, 'Learning(まな)びてthought(おも)はざればis(すなは)labour lost(くら)し、thought(おも)ひてleaving(まな)ばざればis(すなは)perilous(あや)ふしと.'"

漢文の訓読に無理矢理合わせているので無理があるが、もっと英語に適した訓読を行えばましになるだろう。

まとめ

漢文というものが日本に入ってきたばかりの頃、文字も単語も全く異なるその外国語の文を「訓読」しようと考えた昔の日本人。 そこから多くの漢語が日本語に当時の外来語として取り入れられた。

仮名を生み出したことで、オリジナルの日本語も文字で表せるようになり、オリジナルの日本語と漢語を交ぜた表現を書けるようになる。 そして、漢字の訓読みが生まれたことで、元々の日本語の単語の中にも漢字を取り入れることができたのだろう。

上に挙げた英語の書き下し文の例は奇妙に感じられるかも知れない。 だが、漢字を使った表現も元々は外国語と日本語が交じった文に感じられたことだろう。

外国語を取り入れて今の沢山の語彙と豊かな表現力を持つ日本語というものになっていった、その過程に思いを馳せてみるのも面白い。